反原発について

原発について色々なところから情報を仕入れたり、信じたり疑ったりしながらいろんなことを考えている
正直、親戚や自身も親しい友人も僕の身の回り、原発事故で何も影響を受けてない状況で、「反原発」の理由も押し出しにくい僕の現状ですが。


僕の価値観では「人の生活の豊かさ」には1mmも関係のないものだと思うし、それにかかるリスクがでかいと思います。「反」というより無くてもいいというあいまいな答えです
「様々な論点があり、考え方がある」といういいわけすら容易に通るようになってしまった
多様化する文化、氾濫する情報、現状維持の満足

地震原発放射能で身の回りに何も不幸が無かったのは僕だけではないと思うし
俺には人生の生き方を見直すことしかできなかった


ブログを見てくれてる人はわかると思いますが、いろいろ旅行をしました。日本は無駄なものが増えてる気がしますよ。これは英・豪に行って思ったこと。運よくただの観光では無い滞在ができたので
カナダでは
「何も無いということの不便」「自然というなにもかもあるということ」を感じて、便利な生活に依存しまくっている自分への嫌悪感すらありました。同時に「金」が絶えず願望から離れないことにも落胆しました

日本という随分便利な国、安全な国にいて
「生きる」とはなんぞや?
と考えることをサボったりしている
「理想」に向かう道や「理想」そのものを何も行動せずにひとつだと思い込んでいる

そんなこと思いました
平安っていう病気にかかっていると

地震原発放射能で病気から醒めた人も多いはずです
「59機危ないものがある事実、事故ると大変なことになる真実、なにも考えずに生きてると搾取されつづける現実。いつ不条理に死ぬかわからない現実。」

『豊かさ』を考えること。
最近の原発関連を考えて必ず行き着く結果です。
原発がなきゃいけない豊かさとはどういうものか』
原発がいらない豊かさとはどういうものか』

ここをいいとこわるいとこ掘り下げて考えると僕は後者が好きなので反原発だ。
となるのかな。

脱原発とは、最終的には「生き方を変えよう」という呼びかけだとおもいます



『自分にとっての豊かさとは・・・?』


原発がなくったって生活は必ずできます。仕事も必ずできます。原発無くなって困った人を助けるという仕事がありまくるはずだから。
お金をもらうことだけが仕事ではないし
そういうことにはお金じゃない何かがついてきて、物事は必ず好転するものです

「できるかできないか」じゃなくて「やるかやらないか」
だと思うんだ何もかも

長々といいましたが、
大切にしましょう。
自分の身の回り
自分の夢
自分の大切な人
自分の行きたいとこに向かうには、何をすればいいのか、うまくいくにはどうしたらいいのか

絶えず変化しましょう
文化も社会も価値観も


「心を開き、あらゆるところを見よう。 仲間はいるし、なすべき仕事は山ほどある。 何処にいようと僕たちは、誰かの隣に生きているのだ」バルナギータ